オジサンは、電車を利用して通勤をしている。
オジサンは、小田急線と地下鉄を利用して通勤している。
オジサンは、中央区日本橋に勤務しており、最寄り駅は人形町駅だ。
通勤経路は、自宅の最寄駅を通る小田急線に乗車し、代々木上原を経由して地下鉄千代田線を利用し、日比谷駅で地下鉄日比谷線に乗り換えて、人形町で下車をする。
今は、地下鉄と言わず東京メトロというらしい。
地下鉄と言ってしまうあたり、オジサンである。
当然ながら、列車遅延でもない限り、また、早出や残業に私用や所用でもない限り、行きも帰りも毎日同じ時刻の電車に乗る。そして、同じ車両の同じドア口から乗車をする。
コロナ禍が始まった頃だろうか、オジサンは在宅勤務ではなく、出社していたため電車通勤をしていた。
在宅勤務をしている会社員が殆どだったであろう、電車はいつも空いており、特に地下鉄は座って通勤ができるほど空いていた。
オジサンは、その頃のある日、通勤途中に日比谷駅の連絡通路を歩いていた。
そこで、一人の女性を見かけた。ネイビーのトレンチコートを着ており、背中のプリーツにボタンが一つ括らている素敵なデザインが目に止まった。
顔はわからなかったが、髪型はショートボブというのか、耳が隠れるくらいの髪の長さをした女性だった。
ショートボブといえば、グラビアアイドルでいうと忍野さら、セクシー女優でいうと水野朝陽だろう。
例えがオジサンくさくてどうしようもない。
じろじろと眺めるわけにもいかず、彼女の脇をそそくさと通り過ぎて、丁度ホームにやってきた日比谷線に乗り込んだ。
ガラガラのシートに座り込むと、その女性も同じ車両へ乗り込んできて、オジサンの隣に座った。
オジサンは、なぜか意識をしてしまい、用もないのにスマートフォンなどを弄っていた気がする。
地下鉄が茅場町に差し掛かる時、その彼女は降りるのであろう、シートを立ち上がった。
ドア口へ向かうため、オジサンの前を横切る時に、彼女はオジサンをちらりと見た。
オジサンもさり気なく視線に気づいた風を装って、彼女の顔をちらりと見た。
彼女はマスクをしていたため、顔の全容は知る由もないが、輪郭に骨っぽさがあり、目元が涼やかな切れ長の目をした、タレントでいうとMEGUMIのような顔立ちのように思えた。
年齢は40歳ぐらいだろうか。
それからというものの、彼女を幾度となく見かけるようになった。
また、小田急線でも見かけるようになり、どうやら、オジサンの自宅のある最寄り駅よりも先に住んでいるらしい。ある時、彼女が手にしていた本屋のビニール包装で察しがついた。
またある時は、小田急線にて、通過する列車を待っている時にホームを歩いて移動してきたのだろうか、ドアの前に立つオジサンのいる車両に乗り込んでくる時もあり、何度か目が合うこともあった。
だからどうした、どうなったということもない。
彼女は、目が合ったといってもすぐ視線を逸らす。それが何とも自分には冷たく見えて、ああ、気持ちの悪いオッサンと目が合ったくらいにしか思われていないだろうと考えた。
このご時世だ。会釈でもしようものなら、変質者と思われ通報されて騒ぎになるかもしれない。アメリカ式に、屈強な男性達に地面に取り押さえられるかもしれない。
急に恐ろしくなり、電車の中ではなるべく下を向いているようになった。
オジサンがもう少し若く、容姿に自信があり能天気であれば、おはようございますくらいは言えたかもしれない。
いや、そんなヤツはいないし、そもそも、自分にそんな勇気も根性もない。
一年ほどが経ち、彼女は髪の毛を伸ばしていたのか、ある日、パーマをかけた髪型の彼女を見かけた。
誠に申し訳ないが、どうにも似合っているように思えなかった。
誠にお節介ながら、元のショートボブヘアにすればいいのに!と見かける度に思っていた。
気に入らなかったのか、それとも飽きたのか、彼女の髪型には、いつの間にかパーマがとれていたが、今度は毛先が揃ってくるりと跳ねていて、それがどうにもタコさんウインナーに見えて、彼女のことをタコさんウインナーちゃんと名付けた。
コロナ禍が収束した頃、帰宅途中の日比谷駅で地下鉄を待っていた。
まもなく列車がやってくるであろうその時、ホームに入線してくる電車を眺めていると、偶々同じドア口にやってきたその彼女が視界に入った。目が合った。案の定、彼女は視線を逸らす。視線を逸らした彼女は、なぜだろうか、笑っていた。
その笑っていたという顔は、決して素敵な、楽しそうな、明るい笑顔ではない。
薄ら笑いというか、ニヒルな笑みというのか、口元が歪みにやけた、暗く冷たい意地の悪そうな、苦い顔のようにも思えた。
オジサンの解釈では、コロナ禍が過ぎ、マスクを外したオジサンの顔をマトモに見たら、存外にオジサンだった。予想通りの顔だった自分への皮肉な笑いだった。
もしくは、帰りもあのオッサンに会ってしまったという嫌悪感からくるもの。
オジサンはそう結論付けた。
オジサンというのはお目出度いものだ。
哀しいかな、自分勝手な思い込みや解釈に一憂し、落ち込んだりする。
通勤時に見かけるのは仕方ないにしても、帰宅途中はどうか会わないようにといつも願っている。
彼女のことは今現在も見かける、同じ車両の時もある。
しかし、オジサンは決して目を合わせないようにしている。
おかげで、通勤や帰宅途中の車内では、オジサンは溜まりに溜まっていた文庫本を読むようになり、彼女には多いに感謝している。