GO TO 北陸 能登半島

 

去年の9月に北陸と信州を旅行してきた。
チャンゆみと一週間休みを取って、北陸から南下して東京に戻ってくるという計画を立てた。

行程については、まず能登半島の先端である珠洲岬へ向かい、徐々に南へ南へと下った。
一日目:東京-珠洲岬
二日目:雨晴海岸-金沢市内
三日目:婦中鵜坂-白川郷-魚津港
四日目:奈良井宿-松本(宿泊)
五日目:清里(宿泊)
六日目:甘利山-武田神社
7日目:帰京

午前11時頃に町田を出発した。まずは珠洲岬へ向かった。
珠洲岬へのルートは、中央道-安曇野IC-国道147号-国道148号-北陸道糸魚川IC-魚津IC-国道8号-能越道高岡北IC-のと里山空港ICで降り一般道を利用して向かう。

さあ、まずはハイウェイだと高尾山ICへウェ~イ!と勇んだのものの、中央道が相模湖ICまで事故による通行止めとなっていた。
いきなり出鼻を挫かれて、相模湖ICまで一般道を強いられた僕らだが、テンションが上がっていたのかまるで気にすることもなく、風景を楽しむ余裕すらあった。

中央道は空いていた(大抵空いているけど)。道路のはるか遠くに積乱雲や雨雲が見えて、時折にわか雨が降ったが、やはりテンションのブチ上がっている僕らは一々それらに驚き騒ぎ、小学生の遠足の様子さながらであった。

諏訪湖に着いた頃は15時頃であった。
湖に面したベンチとテーブルを占領し、チャンユミが大量に作ってきたランチを食べた。

安曇野ICを降りたころは日が落ちたちょうどブルーアワーの頃だったと思う。
相変わらず車の数は少なく、一般国道を糸魚川に向かって突っ走った。
大町や白馬、小谷を通過していった。明るい時間であれば北アルプスが望めたかもしれない。10年ほど前にやはり同じルートで糸魚川に抜けたことがあったがまるで当時の記憶はなかった。その為、夜の走行で目でわかるものは少ないとはいえ、映るものすべてが新鮮だった。

糸魚川ICから北陸道を使った。親不知子不知を抜けるとすぐ富山県に入った。
魚津ICで降車し、国道8号線を西へ西へ進んだ。バイパスは広く、そして空いていた。
道の駅雨晴海岸に到着したのは21時頃であったろうか。
周辺と共に静かな富山湾に向かっておもむろに腰を下ろしタバコをふかしていた。
突然、けたたましいディーゼル音を轟かせてキハ車両の氷見線がやってきた。
強烈な眩い前照灯が、闇夜をまるで切り裂いていくかのようにして駆け抜けていった。

雨晴海岸で少し休憩した僕らは、能登半島を北上し珠洲岬へと向かった。
能越道は有難いことに無料区間であった。
高速代は、中央道と北陸道だけで有り難いことにわずか5000円弱だったと思う。

能登半島は低い山や丘陵から形成されており、僕らはそのなだらかな起伏の地形を何度も越えていった。
氷見、七尾、穴水、能登半島では知られている街並みを、山並みをのんびりと越えていった。
能登半島へはいつか行ってみたいとは思っていたし、地図で見るそのユニークな地形や能登半島には一体どんな景色が広がっているのだろうかと想像を膨らませたことも度々あった。
まさか実際に訪れるとは思ってもいなかった。
能登半島では、自分の苗字と同じ地名をたくさん目にすることができた。
〇〇町、〇〇村、〇〇小中学校、〇〇植物園、国民宿舎〇〇荘など、全国的にみれば多くはない苗字ではあるが、この土地では非常に多く目にすることができた。
能登半島に縁も所縁もない僕にとっては少々不思議な気持ちがした。

雨晴から2時間くらいは走ったであろうか、珠洲市内にある道の駅で仮眠を取ることにした。
珠洲岬で日の出を拝むことにした。

日の出の予定時刻直前に慌てて起きて、珠洲岬まで車をかっ飛ばした。
太陽が昇る前の空は美しかった。昇る前の風景のほうが美しいかもしれない。
珠洲岬には大きな駐車場があった。宿泊施設があるようで、車が数台駐車していた。

太陽が昇るとみるみるうちに辺りは明るくなった。
たちまち気温は上昇し、日差しが容赦なく降り注ぎ、9月の早朝といえどとても暑く、体から汗を促した。

一通り写真を撮り終えて、僕らは能登半島を南下した。本来は、羽咋市にある千里浜なぎさドライブウェイに行きたかったのだが、生憎、波浪に伴う規制のため通行不可であった。
仕方なく、僕らは能登島にある能登島水族館へ行くことにした。

能登島水族館をあとにして、僕らは金沢へ向かった。
夕暮れの茶屋街を散歩して、富山の宿へ向かい充実した初日を過ごした。