今年の正月明けに会津へ行ってきた。
無性に雪まみれになった列車の写真が撮りたくなった。
この冬はとにかく全国的に雪不足だった。
雪の列車風景を写真に納めたいと考えていた。例えば青森の五能線、会津の只見線、陸羽西線、奥羽本線、豪雪地帯だろうが爆弾低気圧だろうがこちらは突撃する気満々であったが、肝心の雪が降ってもまったく積雪せず、冬空にヤル気はまったく無いようだった。
年末年始も毎日天気予報を調べていた。一番降雪があるのは北海道の山奥の中、東北では、積雪のあるが、その場所に線路は通ってはおらず、目的にはまったくの無意味だった。
僕は会津という安牌を選んだ。ギャンブルを避けた。
たとえ天気予報は雪ではあっても、青森や秋田くんだりまで行ってみて、降雪はしていても積雪がなかったのでは、限りある時間もお金も勿体ないと考えた。
会津若松には訪れたことがなかった。往路はJRを使い、帰路は会津鉄道を使って周遊して帰ろうと考えた。もし雪がなくても初めての磐梯西線や会津鉄道を楽しもうと考えた。
会津といえば只見線が有名であり、奥只見を走るキハ40系の只見線は、JR東日本で最も人気があると言ってよい路線だった。鉄道写真を撮る者には、誰もが撮る道のひとつかと個人的には思っている。
会津に来て只見線に乗らずして乗り鉄、撮り鉄を名乗ってはいけないのではないかと勝手に思っている。
別に◯鉄とは名乗らなくてもいいけど。
しかし僕は乗ることを断念した。積雪も期待できず、一泊二日の予定ではのんびり回ることもできず、様子をみて次回に期待しようと考えた。
今年はその後、雪はまともに降ることはなかった。さらに非常に残念なことに、只見線のキハ40系は今年の3月で只見線での使用を引退してしまった。
キハ40系の只見線に乗車することは今となっては不可能となってしまった。
いくらでも乗る機会はあったのに、なぜか僕は会津地方を避けていたわけではないが後回しにしていた。今では非常に後悔している。
郡山へは東京駅から新幹線を利用した。1時間半もあれば着く。
JR東日本の新幹線には、トランヴェールというタイトルの車内誌が各座席に置いてある。
これはとても面白い。内容は主に東日本の文化や風土の情報が掲載されている。
特に沢木耕太郎の旅エッセイが楽しみで読んでいる。毎月仙台に出張する職場の先輩にお願いして、東北新幹線を利用する際は、持ち帰ってもらうようにしている。
郡山で、在来線である磐越西線に乗り換える。終点の会津若松までは1時間程度で着く。
初めて乗車する路線の乗り換えは好きだ。ホームにぶら下がっている電光掲示板の発車標を確認する。自分の乗る路線名を見て期待に胸を躍らせる。何食わぬ顔でホームに立つ。何食わぬ顔で列車に乗る。イヤホンを外してみる。列車の走行音を聞いてみる。地元の人々の話し言葉に耳を傾けてみる。
郡山駅から磐越西線が出発した。雪を期待していたが無駄だった。
広い盆地は茶色く乾燥して寒々としていた。普段なら美しいであろう猪苗代湖は、曇り空にその水面は眠たげに灰色に染まり、会津を囲む山々は薄っすらと雪を被ってはいるが、何やら機嫌が悪そうに黒々と聳え、何とも言えない鉛色の空と地上の殺風景な表情が、雪の無さに落ち込んでいる僕をさらに暗い気持ちにさせた。
会津若松の駅は静かだった。帰省や帰京の人々で多少の人気はあったものの、暫くするとホームは誰もいなくなった。
僕はこれ幸いにとホームの待合室に陣取って写真撮影の準備をした。
さほど撮るものがあるわけでもなく、発着する列車も少ないことから、膨大な待ち時間中の寒さに耐えうる根性もなく、記念のような写真を撮ってそそくさと駅を出ることにした。
しかし、生まれて初めて見るホワイトとグリーンのキハ40系只見線は、僕に小さな感動を与えた。
駅を出ると大きなロータリーが広がっていたが、時期なのか閑散としていた。
会津の中心街や城下町は駅からは離れていて、出歩く気にはならなかった。
予約をしていたホテルはロータリーの目の前にあった。
駅舎に並ぶようにラーメン屋が開いていた。
出歩くよりも何かをたらふく食べたかった僕は店のドアを開けた。
ソースカツ丼がご当地ということで、塩ラーメンと一緒に平らげた。
特別美味しかった記憶はないが、ご当地気分と腹を満たすのには充分であった。
食べながら外を眺めるとすっかり日は落ち、そしてはらはらと雪が降ってきた。
窓ガラスの雨粒に走り去る車のライトが眩く滲んでいた。
撮ろうかどうか悩んでいるうちに食事を平らげてしまい、とっとと店をあとにし、チェックインを済ませた。
ホテルの隣には日帰り温泉施設が営業しており、宿泊者は無料ということで有り難く利用することにした。露天に降る雪を味わい体を温めて風呂を楽しみ、部屋に戻って特にすることもなく煙草を吹かしながらしばらく外の雪を眺め、このまま雪が降り続けることを祈りながらこの日はそそくさと寝た。
翌朝、目を覚ました僕はまず外の様子を確かめた。
外は一面真っ白であり、ドカ雪ではないものの雪はチラチラと降っていた。
雪がやんで積雪が溶けては元も子もないと、僕は珍しく、素早く出発の用意を済ませてホテルをチェックアウトした。
雪の風景を撮れた僕は満足して列車に乗った。
帰路は、会津鉄道と東武鉄道経由で栗橋からJRを使って帰ることにした。
会津鉄道に乗って会津若松を出ると列車は西に向かいやがて南下する。
会津盆地と北関東の山岳地帯を縫っていく。
山間に入ると雪が深くなる。乗客はまばらで皆静かだ。列車の音だけ鳴り響く。
鬼怒川温泉駅で東武線に乗り換えた。鬼怒川に到着した頃には雪はやんでしまった。
ガラガラの東武線に乗り、あとはJRに乗り換えて帰るだけかと早々と過ぎ去ってしまった旅路の終わりにやや沈んだ気持ちでただ電車に揺られていた。
とある駅で電車が止まった。単線の為に下り線の列車交換(行き違い)がおこなわれるようだ。
はは〜んと何をするわけでもなく間抜けな顔でボンヤリ座っていると、
遠くからゆっくりと「シュッシュッ」と聴こえてくる。
なんだ?なんの音だ?と注意深く聞いてみる。
「シュッシュッシュッ」
ん?蒸気を噴くような音、これはSLの音か?
まさかと思ってホームに出てみる。少ない乗客の何人かが自分と同じようにホームへ出てくる。
音は段々近づいてくる。森の向こうから音がするように聞こえるし、すぐそばの林の向こうから聞こえるようでもある。
なんだ?近くに東武線以外の路線なんかあったか?
いや、無い。
「フオーーーーーーーーーー!」
とバカでかい汽笛が聞こえた。
その汽笛にこの線路だ!もう近い!と確信した僕はダッシュでホムセン(ホームの先端)に走り慌ててカメラを構える。その瞬間コーナーから蒸気機関車が現れた。
のっそりのっそりと真っ黒で巨大な機関車が爆煙を吐きながら現れた。
慌ててわけのわからないまま夢中でシャッターを切った。
生まれてこの方、動いている蒸気機関車を見るのは初めてだった。
感動が、SLが過ぎ去ってからじわじわと湧いてきた。
SLが走ることくらいは細かく調べていけばわかることだろうが、大まかな予定で旅行をするのも悪くはない。このような幸運な偶然を作り出すこともある。
来シーズンこそは、雪にじゃんじゃん降ってもらい、雪景色の鉄道風景写真をカメラに収めたい。