西へHere We Go,伊丹空港

会社で両手を頭に組んで上体を反らし、「月末は忙しくなさそうだな〜」とやや大きめの声でのたまう。
先輩の佐藤さんが、勤務表を作っている長岡さんにそっとチクる。
「長岡さん、ヤツがまたサボろうとしてますよ」
長岡さんは、「ギダくん?何ですって?また有給を使って何か企んでいるの!?」
すかさず僕は、「いやあさすが長岡さん鋭いッス!」
「お願いします!」「オナシャス!」「休みの間はサトーさんが僕の分まで馬車馬のように働きます!」
ここぞとへいつくばり、無理やり休みをもらい、ガッツリとフル装備で西日本へ行く計画を企てた。
期間は一週間。移動は車。撮影が目的の遠出とした。
目的地は、伊丹空港〜東大阪市役所〜門司港駅〜角島大橋〜惣郷川橋梁〜錦帯橋というコースを作り、時間や天候で他を回ることを予定した。
一番の目的は伊丹空港で着陸寸前の飛行機を真後ろから撮ることだった。

初めて伊丹空港の飛行機の写真を見た時はこんなの撮れるわけね〜と憧れるばかりであったが、いつしか伊丹で撮ることは一つの目標になっていた。
カメラを初めてまだたったの半年ではあるが、何となく撮れそうな気がして(気のせい)挑戦してみたくなった。
伊丹でうまく撮影することができれば、初心者から1歩すすめるような気がしていた。

昼頃に東京を出て、暗くなり始めた頃に伊丹には着いた。
撮影場所の比較的近くにコインパーキングが2つあった。現在は一箇所しかない。いや、そこももうないかもしれない。少し離れたドンキホーテの近くにもあったが、今もあるかはわからない。撮影場所は千里川土手という。伊丹というよりも千里川土手と言った方が有名かもしれない。

土手までは10分ほど歩いた。大きな飛行機が次々に羽ばたいていく。あるいは伊丹へ次々に向かってゆく。飛行機のもの凄い大きな音が、これからいよいよ撮りにゆくのだという期待を持つ胸をより大きく膨らませて、同時に緊張を促した。

土手の端に辿り着くと、いきなりバズーカのようなレンズを構えたカメラマン達がいた。
中には賢そうなメガネをかけたどうみても飛行機に興味のなさそうな華奢の女性もいた。
彼らは大きな脚立に登り、立派な三脚を目一杯伸ばし、これでもかという位にシャッターを連射していた。小さな脚立と三脚に据えたAPS-Cのボディにのそこそこの距離は出せるが安い望遠を両手にぶら下げていた僕らはいきなり情けない気持ちにはなってしまったが、俺は初心者なんだ、持てる装備で精一杯戦えばよいのだ、ここから1歩すすむんだと別に誰かと争っているわけでもないのに自分に言い聞かせていた。

バズーカ隊の奥へ目をやると人だかりができていた。
どうやらそこが滑走路のケツにあたるらしい。自分が狙いたいポイントはそこだろうと見当をつけて向かっていった。
滑走路のケツは人で溢れかえっていた。学生のような若者や老夫婦、写真を取る人だけでなく、見学しているカップルや家族連れも見られた。なるほど飛行機はもちろん、夜景としても充分見ごたえのある風景には違いなかった。後ろを振り向くと千里川が流れ、川を挟んでやはり大勢のカメラマン達が列をなしてカメラを構えていた。
驚いたことに、ボランティアなのか、オバちゃん二人が飛んでくる飛行機のガイドをしていた。Flightraderを使っているのか、一々飛んでくる飛行機の便名、大きさや車種を、詳しい情報を大きな声でアナウンスしていた。これは非常に助かった。感動すらした。オバちゃんには感謝している。
ちなみにオバちゃん達は大阪では当然だろうが阪神ファンのようだった。
僕らは三脚を据えて脚立に跨り、アナウンスを聞いて滑走路を向いてファインダーだけ覗いていれば良く、けたたましい飛行機の轟音と風圧でシャッターのタイミングを測ればよかった。
にもかかわらず、数百枚は撮ったであろうが大した写真は撮れなかった。

着陸に向かう写真は全部ボツであった。
止っている画像ですらこの程度で情けない。
もっと絞ってノイジーではなく、かつ暗くならないような画を撮りたい。
カメラのせいにしてはいけない。AFが迷ってしまうとか、機種が古いとかレンズが悪いとかではない。
それは持てるポテンシャルを出し切った上で言えることではないかと思う。
また今年も必ずチャレンジしたい。
また頭上を通過したあとの、帽子が吹っ飛んで砂が巻き起こるほどの凄い風圧を感じたい。
伊丹をあとにして東大阪ジャンクションを撮影したあと、夜中の高速を門司港めがけて僕らは突っ走った。