THE LONGEST DAY 山陰陽一周 防長・芸備のみち

8月27日(火)

この日は姫路へ向かう。
下関まで来て姫路に向かうということは、ここが旅の折り返し地点となる。
東へ進むということは、東京へ帰る旅でもある。
まだ旅は続くのであるから、楽しさや期待はあるがその反面、チクリとした寂しさを抱えたまま移動する。


姫路までの列車の旅程は、
下関〜徳山(在来線)
徳山〜福山(新幹線)
福山〜姫路(在来線)という行程で行く。


本来は、姫路まで在来線(山陽本線)で移動したかったが、山陽本線の運行休止区間が数カ所あった。
運行休止の原因は、広島や愛媛を中心とした度重なる台風豪雨の被害に因るものだった。
瀬戸内の鉄道網は完全に麻痺していた。僕は迂回することも考えた。
例えば中国地方内陸部の鉄道路線や高速バスの使用、または船を使って四国に出て列車の利用、しかし調べてみると、迂回は諦めざるを得なかった。
それはやはり陰陽連絡線や四国でも鉄道の運行休止区間があり、また高速バスは路線の時間の調整がつかなかった。
列車の運行休止区間は、代行バスが運行していて姫路までは行くことは可能であったが、時間は通常の倍を必要とした。
よって僕は山陰本線の運行休止区間は、新幹線を利用してスッ飛ばすことにした。


下関10:32発新山口行の山陽本線に乗る。
まずは新山口まで向かう。

長閑な周防灘を眺めながら僕は電車に揺られていた。
物静かでいてそれでいて力強い日本海に対して、穏やかで明るい瀬戸内海


新山口駅は新しく生まれ変わったようだ。
新山口からは徳山へ向かう。

徳山には12:45分に到着した。13:21分発こだま742号に乗って福山まで向かう。
時間があるついでに、徳山の駅を降りて金券ショップへこだまの回数券を買いに出た。
徳山の駅前は大きなアーケードがいくつもあり、その大きさからかつては随分と栄えた街だったことが窺えた。
しかし、日中だというのに店のシャッターはどこもかしこも降りていて、著しい街の衰退を物語っていた。
瀬戸内の沿岸部は日本を代表する工業地帯で、日本の重工業を担ってきたが、時代の経過とともに産業も変化し、この徳山の街も多分にもれず、もろに時代の影響を​受けているようだった。

金券ショップは、その閉じられたシャッター街の中でひっそりと開いていた。
恐る恐る開けると店員が一人立っていた。背の高い女性の店員だった。
その店員は何か作業をしていたようで、僕をチラリと見て、挨拶もせず再び何か手元の作業をはじめた。
見るからに愛想のないその女性は、しかし、僕はなんだか違和感を感じた。
女性だけど女性に見えない。いやスカートを履いているから女性か。
しかし背の高さとそのゴツイ顔は、、、オカマにしか思えなかった。
女性ではなく女装か?

福山までの新幹線の切符を欲しい旨を伝えると、やはり無愛想にチケットを用意し、
目も合わせずボソボソと金額を伝えるだけだった。
はやく徳山の駅に戻りたかった。

新幹線が徳山を出るとすぐにコンビナート群が見えた。
ガスを廃棄しているのだろうか、フレアスタックが見える。
富士市の国道1号バイパス沿いから見える製紙工場のコンビナート、四日市の23号沿いから見えるコンビナート、
いずれも夜の姿が素晴らしかった。幻想的だった。
さぞかしこの徳山のコンビナート一帯も美しいことだろう。また必ず来たい。

山陽地方は山陰に比べると気温が高く、重い荷物を背負っていてはすぐにバテた。
火照った体には新幹線の空調は絶妙で、心地良さが睡魔を襲った。
そんな心地良い場所から福山駅で下車すると、身体は殊更蒸し暑く感じたのか、意味も無しに涼しい場所を探していた。

14:50に福山に到着。山陽本線15:11発相生行きに乗る。


相生までは行かない。岡山で途中下車する。
岡山駅の麺処吉備でスペシャルうどんを食べる為だ。
岡山を素通りすることはできない。


とにかく出汁が違う。お出汁。関東の荒々しいうどんとは違う。
優しい味がする。

16:44発姫路行きに乗る。
乗車まで時間があったので岡山駅の北口ロータリー脇にある公園のベンチで休む。
暑い。とにかく暑い。幾つかのベンチには人が座っている。
事務服を着たお姉さん。私服のおじさん。平日のこの夕方に一体何をしているんだろうか。
そして僕も。

18時過ぎに姫路に到着。買い物を済ませたりしている内にすっかり辺りは暗くなった。
姫路もとにかく暑かった。夜でも暑かった。