THE LONGEST DAY 山陰陽一周 播但・因伯のみち

8月26日(日曜日)

この日は洲本から松江へ向かった。
舞子駅ま
で出て、ここからは列車の旅となった。

松江までは、舞子から姫路へ出て、そして豊岡方面から鳥取を経て松江という行程で向かった。
7月に買った18切符がまだ残っていたのでそれを使用することにした。
といいつつ、すっかり寝坊してしまった僕は、姫路から豊岡までは特急を使った。
9:50分くらいに在来線に乗車し舞子を出発して、姫路で特急に乗り換えた。

明石を越えると急に風景のローカル色が強くなる。

姫路で乗る特急は「はまかぜ」という。
意外と乗り換えの時間は少なく、特急券と乗車券を買ってチンタラとホームに上っていると、階段の途中で、まもなく出発するぞニイチャンなんていうアナウンスが聞こえたものだから、僕は慌ててはまかぜに飛び乗った。

はまかぜは播但線を進み、和田山から山陰本線へ入る。

姫路を出発し、北へ北へと進む。

福崎辺りから急に山深くなる。
昔、よく仕事で福崎辺りまで何度か行ったことがあった。
姫路の陸運局から福崎へ行く途中、播但線沿いの国道をひたすら走ったものだ。
まさかその国道沿いの列車を利用するとはその時は思ってもいなかった。

買った切符は自由席券だった。
自由席を通路から覗くと割りと混雑していて、空席は一席か二席のようだった。
なんとなく遅れて空いている席に行くのも億劫で、まあいいやと通路のドア脇に座り込んだ。
指定席券を買えば良かったと後悔した。
どうも自由席というのは苦手な気がする。

途中で車掌が検札にきた。
いかにも怪しい旅行者がドア脇に座り込んでいるにも関わらず、
まだ若いその車掌は丁寧に対応してくれた上、自由席はまだ座れますよと着席を薦めてくれた。
折角薦めてくれたのに、僕はやんわりと礼を伝えつつ断った。
今更かと座りに行くのも面倒だった。
しばらくするとその車掌さんは再び僕のところへやってきて、次の駅で下車する客がいるからと言い、再び着座を薦めてくれた。僕はお礼を言いつつもまた、再びやんわりと断った。
何て優しい人なんだろう。
何てややこしい客なんだろう。

竹田を通るということで、有名な竹田城跡を眺めることができるかもしれないと窓の外を眺めたが、地上からは山林で見えるはずもなく、視界に映ったのは樹木に埋め尽くされたただの山だった。
やはりまた僕はドア脇に座り込み、座り込んだ姿勢で見上げる窓から見える風景は山と空だけだったが、僕は流れていく景色をただぼんやりと眺めていた。

豊岡に到着したのは12:16分。
豊岡からは13:02発の浜坂行きの在来線に乗る。
浜坂で鳥取行きに乗り換える。
鳥取には15:05分に着く。

豊岡の街はとても暑かった。
盆地独特の暑さだった。うんざりするような暑さだった。

豊岡は暑さで有名な土地のようで、関東でいう、よく暑さでニュースにされる熊谷や館林、東海地方でいうと多治見に例えられるかもしれない。
下車すると真っ先に駅に直結している商業施設に逃げ込んだ。
丁度時間があったのでこれ幸いにと、但馬そばをいただいた。
そばを食べても浜坂行きの発車時間まで持て余してしまい、暑かったが喫煙しようと外に出た。
これまた丁度自販機があり、冷たいコーヒーを買った。
買ったつもりが手に取ると、火傷するくらい缶コーヒーが熱かった。
余りにも熱くて思わず手から放り投げてしまった。

よく見ると、自販機の自分が押した列は全てホットのレーンだった。
このクソ暑い夏になんでホットなんか売っとんねん!と心の中で怒り狂いながら、
せっかく涼んだ気分は一気に冷め、暑さと熱さだけが身体を支配した。

発車時刻がきて、さてノンビリと行こうかなと涼しい車内に入ると、うんざりするような光景が目に飛び込んできた。
何やら小学生の集団が車両を占拠していた。
子供たちが喚いたり騒いだり動き回ったりしていた。
当然ながら座席に座ることもできず、僕は車両の隅へ移動し、
窓際にある何だかよくわからないお尻くらいの高さまである箱に腰掛けた。

子どもたちは手に手に手帳のようなものを持っており、よく見るとJTBが発刊している鉄道スタンプ帳だった。
JTBの子供向けのパッケージなのかわからなかったが、JTBと、それに子供たちを放置している引率者を勝手に呪った。

城崎温泉や香住を過ぎて、先月来たばっかだなあなどと考えながら、前回は夜の為に見えなかった風景を楽しんでいると、走り回っている子どもたちが僕のリュックを踏んづけた。
踏んづけたといっても「チッ」とリュックを掠めたくらいでさして気にはならなかった。
それからまた近くに寄ってきた子供が、今度は僕の靴のつま先を「チッ」と掠めた。
はあ?と思ったが子供相手にまあまあとアンガーマネージメントした。

しかし、その後も「チッ」「チッ」と、リュック、つま先、リュック、つま先、と続くものだから、俺は思いっきりガキ共を睨みつけて「チィィィィッッッ!!!」と舌打ちをした。
子供達は僕の顔を見て恐れをなしたのか、それ以来近づくことはなかった。

香住を過ぎると餘部鉄橋に差し掛かった。
歴史ある偉大な橋だが、昨年だか一昨年だかに新しく建て替えられて現代的な橋に生まれ変わった。
餘部駅に停車すると、高さのある駅から見える海岸風景を撮ろうと、
ホームには既に降りて撮影している人や眺めている人達がいた。
電車の中の人達は、僕の目の前の窓に向かってカメラや携帯を外に向けて、
ワーワーキャーキャーとバッシャバシャと撮影していた。
目の前にオッサンやガキやオバハン達の手が何本もあるものだから非常に不愉快だった。
僕から言わせれば、餘部駅で大事なのは、駅からの風景ではなく鉄橋そのものではないかと思う。
とりあえずクソみたいなガキとうるさいオッサンとオバハンをまとめて鉄橋から投げ込んでやりたかったが、
そんなことはできるはずもなく、夏休みだしこんなもんだろうと諦めた。

山間部を抜けたのか、だんだんと民家が増えてきた。
ああもう鳥取に着くんだなあ、そういえばこんな感じだったなあと感覚を思い出しながら、列車は鳥取駅に到着した。
16:00発の出雲市行きまでは一時間の間があった。
僕は改札を出てまた駅うどんを食べることにした。
ガキ共は特急やくもに乗り込んだようで、もう2度と会うことはないだろうと深く安堵した。

16:00発出雲市行に乗って松江まで行く。
松江に着くのは18:14分。ちょうど良い時間に着く。
鳥取を横断する。


松江には初めて訪れた。出雲大社や米子、境港は行ったことがあったが、さすが県庁所在地だけあって大きな街だった。
駅でまたかい、とそばを食べた。だって出雲国に来たらやっぱ出雲そばでしょ。

ちょっとやばいくらい美味かった。
親と職場にお土産を買った。持ち歩くのは面倒臭いから宅急便で送った。

まだまだ山陰の旅はつづく